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salamx2の雑談

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僕たちの家の空


僕は無数の階段を 青くのぼって行った
僕たちの家の空は
隣人の家の空とは違っていた
僕は 小麦の深さでうねる無数の階段を
空腹のまま のぼって行った

馬の白を追いかけて
一面の小麦畑のなかで ただ一本の道だけを見つめていた
白髪になった僕の父さんも その道を通って行ったのだ

僕は小麦畑をずっと たったひとりで歩いてきた
僕は父を見た
小麦を見た
なのに未だ言えずにいる「僕の馬だ」とは
僕はただ 馬の白を想って泣いたのだ
僕の馬は刈り取られた


アフマド=レザー・アフマディー(前田君江訳)現代イラン詩集より

青と黄金色と白。
この詩をとりまく色。青と小麦と白。

小麦の黄金色だけがたくましくざわざわと立ち上がってくる。
青と白は、すぐ目の前にあるようで掴みどころがない。

「青くのぼる」とは、なんと果てしないのだろう。
「白髪になった僕の父さん」の白も「馬」の白も哀しくも長い月日をかけて追い求め続けることができる希望のようにも思える。

広大な風景が目の前に広がりそうな詩ではあるけれど何かカッツンっとひっかかる…

そして最後には、グッサッと「僕の馬は 刈り取られた」とくる。

この表現、印象的であるけれどどこか馴染みがあるような…。そうです。アイコウさんも訳している「花壇にお嫁さんとお婿さんが生えていた」の作者でもあるのです。

この詩人は、現在もテヘランで精力的な創作活動を続けており、社会参加を一貫して否定し、モダニズムを志向した思潮は、現代詩の刷新運動の端緒ともなったようです。主体と客体、能動と受動が用意に入れ替わる倒錯したシュルレアスティックな世界感を得意としています。


ちなみに私はつい、「馬」の部分を「空」と置き換えて噛み締めてしまいます。

「僕たちの家」であっても、空は僕たちのものでもなく、まして僕のものでもない。
「僕たちの家の空」は、空の領域に線を引いているようでもありますが、常にそこにあるのに決して「僕の」ものにはならない「空」。。。。。

勝手すぎる解釈、お許し下され。
by salamx2 | 2009-07-31 09:45 | 詩のこころ | Comments(0)