「友達のうちはどこ?」
暁の頃、馬に乗った男が問うた
空は静止し
旅人は口に銜えた光の枝を砂の暗闇に委ね
そして白楊の木を指差して言った
「あの木の手前 神の眠りよりも翠色をした小路がある
そこでは 愛が誠実の羽くらい蒼い
成熟の向こうから現れたその小路の終わりまで行き
そして孤独の花の方を向いて
花のところまで二歩のところ
地上の神話が永久に噴き出て居るところに居てごらん
すると透明な畏れがお前を取り囲み
誠実に流れる空間の中で さらさらという音が聞こえるだろう
高い松の木にのぼって光の巣から
ひな鳥を捕まえている子供が居るから
その子に尋ねてごらん
友だちのうちはどこ、と」
ソホラーブ・セペフリー(鈴木珠里訳)現代イラン詩集より
続けてセペフリーの詩のご紹介。
ひとつの物語の情景が浮かびやすい詩です。
登場人物は、「馬に乗った男」「口に光の枝を銜えた旅人」「ひな鳥を捕まえている子供」の3人。
「旅人」の言葉でほとんど成り立っている詩です。
「ともだちの家」にたどりつくまで必要とされるものが示唆されているように感じます。
旅人の指さす先は、ひんやりと美しい。
「白楊」は、ヤナギ科の木ですがポプラと同属で、マッチの芯などに使われている樹です。
その姿は、芯につかわれているからというわけでなく、本当にひょいひょいとマッチの先から火が上がっているようでとっても絵になります。
「成熟の向こうから現れたその小路の終わりまで行き」
その路は、「成熟の向こう」からすでに始まり、その終わりまではやはり「成熟」というすごさ。友だちの家にたどり着くには、成熟が必要…
「孤独の花の方を向いて」「花のところまで二歩のところ」 なんて
孤独に陥らず、孤独という美しさを見つめる心をもったギリギリの距離。
「誠実に流れる空間の中で さらさらという音が聞こえるだろう」
きっとなによりも心地よく美しい音でしょう。 さらさら さらさら…
そうして たどり着いた先に「友だちのうち」があるわけでなくそこで再び尋ねるのです
「友だちのうちはどこ?」と。
旅人が指し示す場所で私は一人でぼぅと立ち続けてしまいそうな気もします。
ひな鳥を捕まえている子供を見上げながら、その子に問うのを忘れて見続けてしまいそうです…
「ともだちの家はどこ?」というフレーズが題名にくるとすんなりくる詩ですが、この詩の題名は「住所」。「あれ?」というつっかかりができます。それがまたひとつの魅力なのですが、日本語では
「住所」は、「住む所」の意です。
「友だちの家はどこ?」と探しながら自分の住む場所、居場所を探しているのかしら?と、想像が膨らみます。ペルシャ語では、他の意もあるのですかね?
最後になりましたが、こちらの詩はイラン映画の巨匠アッバスキアロスタミ作「友だちのうちはどこ?」にインスピレーションを与えた作とされているようです。